中学年(4年生~6年生)のエポック授業
この年代の子どもたちは自分のそばにある世界をじっと見つめます。
ふわりと天国の匂いがするような低学年の子どもの気持ち、それはもしかしたら温かい寝床で夢を見ている気分に似ているのかもしれません。体も大きくなっていく中学年の子どもの気持ち、それはもしかしたら楽園で暮らしていた夢から目を覚ました気分に似ているのかもしれません。
さっきまではうとうと夢を見ていたけれど、もう目は開かれようとしています。だからこそ、この年代の子どもたちにとっては今まさに周りの世界は存在し始めるのでしょう。
それまではそこになかった時間の流れ、天地の存在や動物たちの生きている姿、植物たちが風に揺れていることや音が鳴り響いていること、人間を取りまく世界のたくさんが子どもの魂に映りこみます。そうして、これは何だろう? と、子どもたちは新しく立ち現れた世界に目を凝らすのです。
この年代を生きる子どもたちの魂は、どんな学びにおいても、世界と人間との関わりを見つめています。ありとあらゆるものとの関わりの中に生きている、私たち人間のことを感じているのです。
そして、それらの結びつきの中に息づく秘密をひとつひとつ解き明かしていきます。学ぶものへの関心が尽きることなく、今も温かいままでいられるのは、心によって関わりたいと願っているからなのでしょう。豊かな感情をとおして学び、子どもたちは世界と私との新たなつながりを見い出す瞳を育んでいるようです。
郷土学
子どもの魂は深い眠りから目を覚まし、ここはどこ? と眼をこすりながら問いかけるのでしょうか。高い丘から町を一望するように、子どもたちの瞳は広くあまねく世界を見ようとしています。
授業では、それまで慣れ親しんだ場所を鳥の視点によって見つめ直し、身の周りの地図を描いていきます。時の流れにも注目し、その土地に根づく歴史についても学びます。
郷土史を生き生きと学ぶこと、それは子どもたちが大地に降り立つ助けとなり、みずからの足でこの地上を歩いていく、その始まりの一歩を励ますのです。そして鳥の目を育むことは、ものごとを普遍的に考えること(真理を探すこと)につながっていくのでしょう。
植物学
植物たちに目を落としてみると、葉っぱの葉脈は大きな川の流れのよう、たんぽぽの花の黄色いのはお日さまの光のようです。子どもたちの瞳は小さな世界に向けられて、そこに息づく秘密を発見していきます。
つぶつぶの種子たちが風をつかむこと、いったい誰から教わったのでしょう。もし、風が教えてくれたというのなら、空には知恵が吹きわたっています。植物は自然からたくさんのことを教わって成長していきますが、それは子どもたちが学校に通って学び、大きくなっていく姿によく似ています。
だから、子どもたちは道のほとりに生きる緑に親しみを覚え、植物たちのことを愛するように知っていくのです。
動物学
たとえばアザラシは泳ぐことに優れていて、雫のような体によって美しく水中を動きます。人間は、水に生きる動物たちのようにしなやかに泳ぐことはできないけれど、水中に潜るとき、私たちはちょっとだけアザラシなのです。
子どもたちは動物たちのことに想いを寄せ、その動物になりきって体を動かしながら学んでいきます。そうして動物たちの優れた力をひとつひとつ見ていくと、それらをかけらのように合わせ持つ存在、それが人間であるということを感じていきます。
動物を通して人間のことを考える、そんな学びを進めていくうち、子どもたちの瞳は自分が人間として生まれた意味を、静かに見つめていくのです。
天地創造
この広い天地はどのようにして創られたのか、そして私はどこから来たのか………、天地創造のお話しはそんな果てしない問いの始まりを告げます。
夕日をしんと眺めるように、子どもたちの瞳は遥かな過去を見つめています。いつも走りまわっていた大地、いつも見上げていた空の向こうに、世界の始まりの物語が生きていることを知り、子どもたちの魂はもう一度、この広大な世界とのつながりを見い出していきます。
創世記は宇宙の思い出と言えるのでしょう。天地は誰の願いから創られたのか、そして始まりの温かさを思い出しながら、子どもたちはこの世界と私自身の起源について学んでいきます。